『はじまりへの旅』("Captain Fantastic")

ひとことで言うと合わなかった。言いたいことはわかるけど、気持ち良くは観れないっつーか。森の中で原始的な暮らしをするキテレツな一家(父親と6人の子供達)が都会に出てきていろいろなカルチャーショックを受けるっていうお話。既存の言葉で言えば多分「ヒッピー」。資本主義大反対家族。いろいろな人がこの映画を評価していて、それはわからなくはないんだけど、僕はメッセージの描き方が大げさすぎな感じがしたなぁ。
なんでこうも評論家の方々と感じ方にズレがあるんだろうって考えたんだけど、結局わからなかった。僕が、親が子供に与える影響について興味があるから?

この話に出てくる父親は学者で、詳しくは描かれてないけど多分社会に出ても普通にやっていけるんだろうし、父親になるまでは普通の暮らしをしていたんだろうと思う。彼の教育法はそんな一見「普通」な人が考え抜いた結果のものだからこそ、話を聞かずにそう簡単には否定できない。困った時に一人でも生きていけるようにサバイバル技術を学ばせる、体力と筋力をつけさせる、レベルの高い本を読ませまくることで知能をつけさせる、などといった教育法は一見理にかなってる。
実際それで長男は世界の名だたる大学に次々と合格したんだけど、その子は今まで森の中で過ごしてきたせいで「コーラ」が何か知らないし、女の子ともまともに話せない。本に書かれたことしか知らない。彼が都会に出て初めて自分が変人であることに気づき、”I know nothing! I am a freak because of you! You made us freaks!”って父親に訴える場面は胸が締め付けられる思いだったよ。僕自身体験の伴わない知識の詰め込みにはあまり賛成できないからこの父親のホームスクーリングに最後まで納得できなかったのが、心から楽しめなかった理由だと思う。

それ以外にも、誕生日プレゼントに狩り用のナイフをもらって喜ぶ子供をみても素直に笑えないし、食べ物救出作戦とかいって普通に盗みを教えてるのもやべぇと思うし、あの父親がやっているトレーニングは下手すれば周りの人が言っていたように「児童虐待」になりかねない。
どうしても子供がかわいそうだと思ってしまう。親は選べないから、選択の余地なくこの父親の思考に付き合わされるわけだし。

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(葬式にこんな格好で乱入しちゃうような一家。)

なんか、小さいことにケチをつける心の荒んだ鑑賞者みたいになってしまった。。。でもこの父親を完全に批難することもできないんだよな。
本作の父親は過去に何を経験したかがあまり深く描かれてなくて、だから彼が持っている信条みたいなものもあんま理解できない。こういう偏った理想主義を掲げているインテリほど自分の考えを曲げることに対して抵抗を持っていそうだけど、彼も彼なりに子供のことをおもっていて、だからこそ最後の最後に今までの信念を変えることができたんだと思う。

社会のあり方、社会との付き合い方、教育について考えさせられる作品ではあります。嫌でも「普通」について考えることになるので、自分が置かれている環境に甘んじて惰性で生きている人がハッとすることがあったら、それはこの映画がこの時代に出てきた意味なんだと思う。
最近政府の教育再生実行会議が「アカデミックな教育課程に偏りがちな大学を変革し、産業界が求める即戦力となる人材を育てよう」みたいなこと言って叩かれてるの、結構タイムリーだったりします。

なんか、ウェス・アンダーソン監督に撮ってもらいたい素材だったなぁ。

 

『スウィート17モンスター』("The Edge of Seventeen")

映画をたくさん観ていると、たまに「大作じゃないんだけどどうしても観に行きたい!!」ってやつがあって、そういうのってだいたいミニシアターっつーの?でしかやってないことが多くて。本作もそう。シネマカリテっていう新宿の映画館で観てきました。シネコンもいいけど、ミニシアターにはまた違った魅力があって。座席が少ないからみんなで観てる!って感じの一体感があって。なんつーか、謎のホーム感。この作品は結構コメディーシーンがあったんだけど、笑う時にシネコンの時より遠慮がいらないというか。ミニシアター特有のそんな空気感があったりするのです。あと、館内ロビーに雑誌の切り抜きが貼ってある感じとかね。誰かわかる人いないかな。

ミニシアターで感じた一体感でとても印象に残ってるものがあって、今年の1月に『はなればなれに』っていう古いフランス映画を観た時なんだけど、序盤のナレーションで「遅れてきた観客のために今までの内容を説明しよう」みたいなのが入ったの。ちょうどその時に遅れ客が入ってきて、タイミングがバツグンすぎておもしろかった。あと映画の中で登場人物たちが1分間沈黙するシーンがあって、映画館でみると、特にこういうミニシアターでみるとまた別の感動があるなぁなんて思ったりしました。

ちょっと話がそれちゃった。さてさて、『スウィート17モンスター』の話をば。
えーと、今回は邦題についてはあえて触れないことにして、そのまま内容の方にいきたいと思います。17歳っていう難しい時期にいろいろこじらせちゃったイタイ女の子(名前はネイディーン)のお話なんだけど、その暴走加減が妙にリアルで良かったのでございます。もうそこだけを前面に押し出したような感じでつくられていて。でも誰もが体験してきた大人になるための過程だから、どこか懐かしくて、なんか責められなくて、うんうんそうだよねって見守ったくなっちゃうような感じ。自分が嫌いで、みじめに思えて、親とも一向に分かりあえなくて、みたいな。人間関係にもがき苦しんじゃうけど、甘酸っぱい恋愛なんかもあって、みたいな。(まだ20歳のお前が偉そうに言うなというご意見は基本的に受け付けておりません)

そんな女子高生役を器用にこなしてたのが、ヘイリー・スタインフェルドさん。美人すぎないのが合ってたね(失礼)。んー今まで知らんかったけど、調べてみたら『トゥルー・グリット』に出てた子なのね!そして同い年という。不思議な気持ち。
話の性質上ネイディーンが一人で画面に映ることが多いんだけど、もう引き込まれちゃって。画面から目を離す隙がないっつーか。ヘイリーさんはブスに見える表情を躊躇なくやってのけるから(ここら辺は最近観た『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーンに似ている)、清々しくもある。
いつもふてくされててブサイクなネイディーンがすごく可愛くみえたのが、イイ感じになってる男の子がつくった映画を映画祭で観てる時の表情(画像探したけどなかった)。映画の中で登場人物が映画観てるシーンってなんかいいよね。

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(ムスッ)

悲劇のヒロインぶってたり、デートの前にタンスの中をひっくり返ちゃうような少女だったネイディーンが母親に大人だと認めてもらえるシーンが最後の方にあるんですけど、そのシーンがとても象徴的で、みんなこうやって大人になっていくんだな〜って思っちゃって。こういう、ティーンエイジャーがある経験(失敗)を通して大人になっていくみたいな映画っていっぱいあるよね。僕が最近観たのは『17歳の肖像』かな。

予告篇の音楽にビートルズの『ヘルプ!』が使われてたんだけど、もうそれがピッタリすぎてね。それもビートルズが歌うズンチャカな感じのヘルプじゃなくて、しっとりとした感じの、Howie Dayという人のアコギが印象的なカバー。実はこれ、どっかで聴いたことあると思ったら『アイ・アム・サム』のサウンドトラックだった。確かこれはサントラにビートルズの曲を使おうとするとめちゃくちゃお金がかかるから、予算の関係上いろんなアーティストにカバーしてもらったっていう映画で、結果的に作品の雰囲気にぴったりなサントラになったやつだ。ヘルプは、その中からの一曲。下に貼っときます。

Help - Howie Day (Beatles cover from I am Sam Ost).wmv - YouTube

…みたいな感じでした。あぁ、若いって、難しいけど素晴らしい。

『美女と野獣』("Beauty and the Beast")

美女と野獣』って、100年語り継がれる物語とか言われてっけど、ひとことで言うと元々は「異類婚姻譚」だからね。なんかゾクっとするね。
その前にこの邦題にはちょっと思うところがありまして。もともとはフランスのお話だから”La Belle et la Bête”っていうらしいんだけど、これが綺麗に韻を踏んでるわけ。英語版の”Beauty and the Beast”もちゃんと頭韻を踏んでいまして。で、邦題はというと、『美女と野獣』って…。ジャ行で踏んでると考えるのもちょっと厳しいかって感じ。まぁそんな気にすることでもないんだけどね。え?代案なき否定を禁ずって?すみません。

この作品、昔のディズニーアニメ映画の実写版なんだけど、数年前にそのアニメ作品を観ようとしたことがあって。途中で観れなくなって。というのも、TSUTAYAで借りてきたBlu-rayに傷が入っててね、ベルと野獣のファーストコンタクトのシーンあたりでしっかり止まっちゃったの。いや、スゲェいいとこじゃん!!これから話が大きく動き出す大事な場面じゃん!!うぐぐぐ…!!!ってなったね。新しいの借りる気にはあんまなんなかったのでそれ以来観てません。後でTSUTAYAに「これ直したほうがいいですよ〜」って言いに行ったら無料で借りられる券みたいなの2枚もらったんだけどなんか恥ずかしくてまだ使ってないので欲しい方いたらあげます。多分渋谷店でしか使えないです。

何から書けばいいかちょっとわからないんだけど、まずはエマさんかねぇ。透き通った素朴な歌声で素晴らしかったし、気丈な感じがベルに合ってた。読書家のエマが、本の虫のベルを演じたのがリアルでまた良かった。僕はイギリス英語の発音が好きなので、それもよかった〜。キャストの話をすると、家来の声優にびっくりしました。ユアン・マクレガーとか、エマ・トンプソンとか、こんないい歌声持ってたの?え、守備範囲広すぎません!?つって。

f:id:oops_phew:20170424115841j:imagef:id:oops_phew:20170424120359j:image (ベルのコスチュームが似合うエマさん。)

個人的に印象に残ったシーンは3つあって、1つめは”Something There”(愛の芽生え)という曲のシーン。雪合戦の場面なんだけどね。野獣がめちゃデカい雪玉をベルに当てちゃうんだけど、それが顔面に直撃して真後ろにバタンとぶっ倒れるシーンがあって。脳震盪とか心配しちゃったよ(アニメ版を確認すると、当たってなかった)。下に動画貼っておくんで観てみてください。ベルが”And now he’s dear and so unsure”という歌詞をちょっとテンポから外して歌うのがオシャレで好きなんです(細かい)。あとやっぱアラン・メンケンは天才だね。

 「美女と野獣」♪愛の芽生え /(プレミアム吹替版Ver.) - YouTube

2つめはベルと野獣が本について話してるシーン。細かいことは忘れちゃったんだけど確かシェイクスピアの話をしていて、”Love looks not with the eyes, but with the mind; and therefore is winged Cupid painted blind.”(恋は目で見るものじゃない。心で見るものだ。だからこそ、翼を持つキューピッドは盲目に描かれている。)っていう『真夏の夜の夢』の一節を二人で言って盛り上がっちゃう。なんか映画とかドラマとかでさ、たまにシェイクスピア作品の一節をサラっと言う人いるけどなんでみんな覚えてんだろうね。僕も学校で夏目漱石読んだけど、一節を諳んじるとかできないよ?

3つめはラストに野獣が人間に変わるところで(これネタバレじゃないよね!?)、ベルが人間になった野獣の目をみるシーン。目をみて野獣だと確信するっていう象徴的な場面。実写版の方が野獣が人間的な外見をしています。元は人間だってのがわかる感じね。アニメ版の方は完全にモフモフな獣だったから。ぬいぐるみみたいだったから。

冒頭でちょっと原作について触れたんだけど、原作を読んだことがないのでちょっと調べてたらおもしろい記述を見つけまして。原作はベルの成長物語なんだけど、ディズニー版は野獣の成長物語になっている、とかフェミニズム要素を含んでいる、とかね。
ディズニープリンセス像というのは時代に合わせてかなり変化してきたものなので、これについては色んな考察ができると思ってるし、絶対めちゃくちゃおもしろい。時間がつくれたら色々考えてみたいぞ。変化といえば、ついにディズニー映画にもゲイキャラが出てくるようになったね。そのせいで上映禁止になった国もあるらしいけど。

本作はあの『美女と野獣』の実写化ということで、ごまかしのきかないド直球勝負、ハードルも高かったとは思うんですけど、見事に素晴らしい作品に仕上がっておりました。めちゃくちゃオススメします。実写化って、(おそらく2回はしないだろうから)タイミングが難しいよね。「今」でいいのか?エマ・ワトソンでいいのか?っていう。なんか、今からこっちにそんなことを考える暇も与えぬほどバンバン実写化していくみたいですね。『ムーラン』、『ライオン・キング』、『ピーター・パン』、『アラジン』とか。一昨年の実写版『シンデレラ』も、傑作すぎて映画館で感動した覚えがあるので、後続にも期待が高まりますね。

最後に、注目の主題歌はアリアナ・グランデ(とジョン・レジェンド)が歌ってるんだけど、アリアナさんは歌うまいね。最近出てきたシンガーソングライターの中でダントツでうまいと思う。調べたら彼女はアフリカの血が入ってて、ビヨンセとかマライア・キャリーもそうだから血の力は少なからずありそうだよね。こういう話をすると、高校の生物の先生が「黒人はね、我々とミトコンドリアが違うんですよ。だから長距離走で強いんです。」みたいなこと言ってたの思い出すんだけど、ホントなのかね。。。

『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』("Lion")

公開されるや否や、とでもいいましょうか、なんなら公開される前からネット上で「泣ける」と話題になっていた本作。僕も泣くつもりで、お水たくさん飲んで目薬さして上映前のおしっこも我慢して観に行ったのさ。まぁちゃんと泣かされたんだけどその話はまたあとで。

開始早々ヒンディー語に圧倒されました。何語かと思ったらヒンディー語だった。多分最初の45分間くらいは全部ヒンディー語ベンガル語だった。字幕日本語しかなかったけど、これじゃあ外国の人が日本の映画館で観たら何言ってるかわからないじゃん…?オーストラリアの映画なのに、デフォルトで英語の字幕入ってないのかな。それとも日本の配給会社が消した?

って感じで結構インディーな感じの映画なんですけれども。特に前半はインドの危険な社会について描かれてる。インドの子供って直感で悪人がわかるのね。人身売買やら臓器売買やらをやってる人がたくさんいるから自然とそういう力が身につくんだろうけど、それに比べて平和に暮らしてる日本の子供は善人面した悪人には多分すぐついていっちゃうよね。そもそも、ストリートチルドレンとかいないしね。

あらすじとしては、インドで迷子になった後色々あってオーストラリアの夫妻に養子として受け入れられた子供が、25年後にインドの家族の元へ帰るお話。なんで帰ることができたかというと、そりゃもう広告で散々言われてるようにグーグルの力ですよ。グーグルアースによって記憶が呼び覚まされて自分の家を思い出すの。やっぱグーグル先生ってすごい。我々大学生の単位をいくつも救ってくれる上に、こんな感動的な親子の再会にまで貢献しちゃうんだから。えっと、これからもレポートの時とかよろしくお願いします(←違う)。

主人公の子がね、サルーっていうんだけどね、幼少時代を演じたサニー・パワールくんがとっても可愛くて。そっち系のアブない趣味がある方にはオススメです。別に演技がめっちゃ上手いとかいうわけではないんだけど、これからが楽しみですね〜!顔とか!
この子が成長するとデーヴ・パテールが演じるようになります。まぁ特にカッコいい以外のコメントはないんですけど、この人『スラムドッグ・ミリオネア』に出てたらしい。あれですかね、インド映画じゃないけどインドが舞台の映画に出るポジションを獲得しつつあるんですかね。知らんけど。とりあえずそれもはやく観なきゃだ。

サルーはオーストラリアで教育を受けて大学に行かせてもらえるんだけど、そこの大学に!ルーニ…!(ここで息がつまる)ィマーラ!が!いて!なんか彼女と付き合っちゃったりして!!は?意味わかんねぇし。サルー君それはずるいぞー。ルーニー・マーラには僕を倒さないと近づけないんだぞー。って感じで画面越しにしか言えない自分に無力感を感じながら観てたんだけど、おいおい彼女最高かよ。会ったことないけど好きだよ。話したことない人を好きになるってこういうことなんだよ。そりゃ大学にルーニー・マーラがいたらさぁ、毎日ルンルンで登校するよね。全講義無遅刻無欠席で、なんなら授業の5時間くらい前に着いてそわそわしちゃったりしてね。もうなんか興奮して文章がめちゃくちゃになってっけど。あえてここら辺推敲とかしないけど。

f:id:oops_phew:20170419192724j:image(この透明感!!!)

キャストについてあーだこーだ言ってるけど、一番演技が神がかっていたのはニコール・キッドマン。オーストラリア夫婦の、もちろん「婦」の方を演じてまして、抑え目なんだけど芯のある演技が上手い。特に最後の独白のシーンは技アリ、必見。彼女も養子を迎えた経験があるから、通じるところがあったのかも。母親役でいい味出すね、『アザーズ』なんかも良かった。

本作が盛り上がるのはやっぱりサルーが自宅の場所を記憶を辿りながら思い出していくシーンで、映像にもこだわってるのがわかった。過去の映像との織り混ぜ方なんかが丁寧で、サルーの心の動きがよく描かれてた。この演出はニクイです。もう三菱なんじゃないかってくらいニクイ。
映画館で泣いたのっていつぶりだろう。『リアル・スティール』とか以来かな。ちょっと覚えてませんけれども。今作のわたくし的泣きポイントはというと、ニコール・キッドマンが”She needs to see how beautiful you are.”(戸田奈津子字幕は「ご家族に、立派になったあなたを見せて」だった気がする)って言うところですかね!細かいけど。
あとね、実は実話なんです系映画のエンドロールで必ず出てくる実際の写真とか映像、あれが一番泣いちゃうね。気づいたら目に涙が。ホロホロと頬をつたって、女優になった気分。
ドライアイで悩んでる方は、どうぞ。そうでない方にも、とってもオススメです。

『ムーンライト』("Moonlight")

もう1週間くらい経っちゃったんですけど、なにかと話題の『ムーンライト』を4/1に観てきました。
アカデミー作品賞をとってから日本での公開が1ヶ月くらい早まり、公開する映画館もどっと増えて、やっと「普通の作品」として扱ってもらえるようになったわけですけれども。
…まぁ、日本ではウケないんじゃないでしょうかね。上映後も皆さんウーンって感じだったし。「『ラ・ラ・ランド』の方が良かった〜」なんて声もちらほら。万人受けはしなさそうだから、最初の小規模配給計画もあながち間違っていなかったような気がする。

この映画、扱っている内容が特殊というのはひとまず置いといて、構成上の特徴が2つあります。
ひとつは、一人の人間の幼少期から、思春期を経て青年期まで(ここらへんの発達心理学用語は合ってるかわからん笑)を追ったものであるということ。映画が3つのパートに分かれていて、それぞれの成長段階を描いたものになってる。
もうひとつはこれに関連してなんだけど、結構間がブツブツ切れてる。一瞬で5歳くらいから15歳くらいに飛んだり。これがこの映画の魅力のひとつでもあって、行間を読むっていう作業が必要になってくる。ぶちぎれてるものをつないでいく。その間に主人公の身に何があったのか、直接は描かれてないことを想像する。なんつーの、点と点をつないで線にする感じ?自信がない人は、これは「シャロンとケヴィンの物語」だって頭の片隅に入れながら観るとわかりやすいかも。

主人公はシャロンっていう子で、まぁ俗に言うゲイ。その子の切ない恋愛を描いたお話。だからキスシーンとかも当たり前のように出てくるわけ。なんか、男同士のキスシーンをみて、自分の中で理性と情動が戦っちゃって。ジェンダーについては一応勉強してきたはずなのに、まだ心からというか根からは偏見が取れていない自分が嫌になっちゃって。なんでだろう。今までみてこなかったものだから?そう考えると、気持ち悪いとか口外してる人は論外だと思うけど、そう思っちゃうのは仕方のないことなのかもしれない。

『ムーンライト』がアカデミー作品賞をとることができた理由は、映像美とか演技とかいった技術的に光る部分があるからっていうのももちろんあるんだけど、この時代にLGBTを扱って「普遍的な愛」を今までにないような形で描いたからっていうのも大きいと思う。僕はアカデミー賞に対してそこまで絶大な信頼を置いているわけではないけど、『キャロル』や『ミルク』といったLGBT映画の良作がアカデミー作品賞を逃してきた中、この作品がとることができたというのは映画界において大きなターニングポイントになると信じてる。

最近、大学の授業でこんな話をききまして。「1930年のアカデミー賞にて作品賞をとった『ブロードウェイ・メロディー』は、今の映画評論家からみると駄作である。しかし、この作品は世界初の全編トーキーによるミュージカル作品だったので当時の盛り上がりは大きく、時代背景を考えると受賞も納得だ。」
LGBTについては今の時代は色んな議論があって、この映画の注目度が高いこともそれを示してると思う。なんていうか思ったのは、この例のように、『ムーンライト』のようなLGBT映画が出てきてもそこまで騒がれないような時代になってほしいなって。LGBTが少数派であるのは事実だから少しも話題になることなくっていうのは無理だろうけど。

さっきこの映画は3つのパートに分かれているって書いたと思うんだけど、印象に残ったのが3つともシャロンの背中をとったシーンがあるということ。

f:id:oops_phew:20170408213934j:imagef:id:oops_phew:20170408213938j:imagef:id:oops_phew:20170408213940j:image(悲しみをたたえる背中は印象に残ります。)

3つの時期のシャロンはもちろん別の人が演じてるんだけど、演技がまたすごい。三人の自信なさげな表情、悲しそうな瞳。体が大きくなっても、演じる人が変わっても、あの小さな頃のシャロンにしか見えない。観終わってから初めて気がついたんだけど、ポスターの顔はよく見ると三人の顔を合わせたものなのね…

f:id:oops_phew:20170408214048j:image(よくみると、唇とかズレてる。)

全体的に、自分の内面に向き合う黒人を優しく包み込むような、そっと寄り添うようなソフトなタッチになっていて、ラストシーンなんかもかなりの余韻を残してくれて、非常に温かな気持ちで観ることができました。

最後に、英語がもうびっくりするほど全然聞き取れねぇ。すんごい訛っててもう必死で字幕全追い。ひどい時は一連の会話の中で文末のniggerしか聞き取れなかった。〜ニガ!みたいな。え?苦いの?つって。黒人の英語を聞きとれるようになるまではまだだいぶかかりそうです…

あ、あとアカデミー賞関連でひとつイイすか。長編アニメ賞、今年は『ズートピア』が受賞したということで、2001年からの全16回のうち12回がディズニー作品の受賞ということになりまして。それも、ディズニー作品は今年で5年連続の受賞。「ジブリ、受賞ならず!」ってマスコミが悔しそうに騒ぐのは今年で4年連続。これ、もういいでしょ。ジブリ作品が受賞しないのって、最初から分かってるから!情報量ゼロですから!!
っていうちょい文句でした。以上。

『おいしい生活』("Small Time Crooks")

ウディ・アレン。ハリウッドでウン十年もの間活躍し続ける映画監督のうちの一人。わたくし、今まで数百本映画を観てきて初めてウディ・アレン作品を鑑賞しました。なんつーか、未知との遭遇。なんで今までノータッチだったかというと、彼の作品はクセが強いらしくて、あとオトナの恋物語な感じがしてなんとなく敬遠してたから。

ウディ・アレン作品としてわりとテキトーに選んだのが、『おいしい生活』。原題の”Small Time Crooks”は、「三流の泥棒」っていう意味です。超簡単にあらすじを書くと、主人公が銀行強盗をするために近くの空き家を借りて地下にトンネルを掘ろうとするんだけど、その空き家で妻が始めたダミーのクッキー屋さんが信じられないくらい繁盛しちゃって…なんならテレビ局とか取材に来ちゃって…で、そっから大金をめぐって二転三転するコメディタッチのお話。

印象に残った特徴としては、まず、監督が主役。ほうほう。そうきたかと。イーストウッド系ね、わかった。あと、音楽がレトロな感じ。味のある雑音が入ってるやつ。それと、会話がよく練られていて、長くてリアルなんだけどそんな中にもオシャレを感じる。この3つかな。他のウディ・アレン作品が全部そうかは知りません。でも世間で言われる「アレン調」ってのがどんなもんか、雰囲気はわかった気がする。

あとね、ヒュー・グラントが出てるんですよ!好きな方は要チェック。

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(40歳くらいのヒュー・グラントさん。かっけぇ。)

実はこの映画を観て、「教養」について色々考えてしまいまして。

僕にとって一番身近な「教養」は、大学で所属している教養学部かな。「そぜくん学部どこなの?」「教養学部です」「じゃあ先生になるんだ!」「あ、教育じゃなくて教養なんです…似てるんで紛らわしいですよね笑(てかそもそもウチの教育学部は先生になる学部じゃねぇし)」みたいな会話を何度交わしたことか。あとは、クラスや部活の友達から「そぜって教養あるよね〜」ってたまに言われる。僕は映画や演劇、音楽、英語なんかが好きでそれらに関係する知識や体験が人よりちょっと多くあるかもしれないってだけなのに。そのたびに「たしかにそれも教養か、でも摑みどころねぇな」って思ってた。

おいしい生活』は、ウディ・アレンがエセ教養人についておもしろおかしく描いた映画。いきなりお金持ちになったおバカな奥様が、いきなり社交界入りしたんだけど、周りと全く話が合わないもんだから慌てて教養を身につけようとするお話。でもそれが空回りしちゃう。
ウディ・アレン社交界嫌いなのは有名で、これは彼なりの揶揄なのかなぁと。

一番印象的だったシーンが、知的な会話ができるようになろうとして辞書の単語を頭から全部覚えようとする場面。たまにいるヤバい大学受験生みたいに。語彙は文脈の中で覚えて初めてちゃんと使えるようになるものなので、これが教養につながらないっていうのは誰でもわかるから空回り具合がわかりやすくておもしろい。

んーなんか教養って、付け焼き刃のものじゃエセ文化人にしかなれないのよね。なにが滑稽にみえるのか考えると、「文化的下地のない大人が」「必要に迫られて」「特に好きでもないことについて」必死に知識と体験を詰め込もうとする、というような背伸びしている姿なのかなって思って。実は文化人になれるかどうかは生まれというか子供時代の環境で決まっちゃうんじゃないかってことまでウディ・アレンはいってるんじゃないかって感じた。

ウディ・アレンは立派な教養人なのに(調べたらすぐわかります)、こういう話を描けるのはすごいと思う。観察眼っつーのかな。正反対の立場のことなんてわからないからね普通は。彼のおバカな役の演技はとても上手で、頭の悪そうな会話を綴る脚本もお見事。

やっぱり自分の背丈に合った勉強が大事で、興味のないことだったり、好きなことでも下地がないためにレベルが自分より高すぎたりすると教養として身にはつかないのね。っていう考えてみれば当たり前のことを突きつけられたのでございました。

この映画を通して僕が教養について気づいたことなんてすごく薄っぺらくて一面的なことなんだと思う。そもそも教養の種類が今の自分が置かれている環境とは少し違うし。(社交界だと超一流の絵画、ワイン、クラシック音楽、舞台だったりする。)でもこうやってモヤモヤしていたことが言語化される体験がたまにできるから、映画鑑賞はやめられないのです。
最近は「才能」について考えあぐねているので、いい作品に出会えないかなぁ、なんて。

実際監督はここまでの皮肉をこの作品に込めたのだろうか。どうなんですか、ウディ・アレンさん。

『キングコング: 髑髏島の巨神』("Kong: Skull Island")

予告編みて、コングかっけぇな〜って思って観に行っちゃった。IMAX3D。4DXもあったんだけど、以前『ローグ・ワン』を観て4DXはまだ発展途上だなと思ったので今回は見送ることに。IMAX観たことある人はわかると思うんだけど、始まる前にクソゴツいカウントダウンがあるじゃないっすか。あれがキングコング仕様になってておじさん感動したよ。こうやって世界観つくるの大賛成。

なんかさ、キングコングってさ、たくさん映画撮られてるじゃん。ぶっちゃけ1本も観たことないわけ。でっけぇゴリラみたいなんが暴れるってことぐらいしか知らないわけ。「あ、あの隣のクラスのおっきい子でしょ?知ってる、しゃべったことないけど」くらいの感覚。これ、去年『シン・ゴジラ』観た時も思ったわ。旧ゴジラ観たことないんですけど〜つって。
でも一応キングコングを観たことないなりに、コングさんが綺麗な女の人を手で掴むか手のひらに乗せるかしてるシーンが印象的なんだけど(画像参照)、今作もちゃーんとありました。スケベコング。

f:id:oops_phew:20170326231309j:image(1933年版)

f:id:oops_phew:20170326231332g:image(1976年版)

f:id:oops_phew:20170326231349j:image(2005年版)

そういえば、今回はアンディ・サーキスは絡んでないみたいで、残念。(知らない人のために説明すると、彼はモーションキャプチャの第一人者で、3年前のゴジラやリブート版『猿の惑星』シリーズのシーザー、2005年版のキングコングなどを演じているオッサンです。)
あと、こういう怪獣モノに全然詳しくないからこの機会にちょっときいてみたいんだけど、ゴジラファンやコングファンの人たちにとって、こういうリアルな見た目を追求した感じはどうなの?やっぱ特撮?の方がいいの?どれくらい認められるの?ご意見聞かせて欲しいでっす。

もうちょっと中身をみていくと、気になったのが「いてもいなくても変わらないような、セリフも大して与えられてない中国系美女」。これね、最近のハリウッド映画によくいるのよ。なんつーの、コンビニでカップ麺買うとついてくるお箸みたいな感じ?あ、ハイハイまたか、と。色々オトナの事情があって出てきてるんでしょう。絶対死なないし。
恋愛の描写が一切なかったのは良かった。こういう映画で恋愛要素をブチ込もうとすると変になっちゃうから。確か『シン・ゴジラ』もこの点で監督がプロデューサーかなんかと揉めたとかいってたような。

さて、そうはいってもやっぱり注目はコングさんなわけです。コイツ、最高だった。めちゃくちゃデカくて、人間は圧倒的無力。これ以上の絶望もなかなかないんじゃねぇかってくらいの絶望感。コングが吠えたり唸ったりするたびに座席が音で揺れるの。ドラミングも超イケてる。そうそうワシはこういうのを待ってたんじゃよ!!ありがとう!!!って感じ。
最近リブートされた『猿の惑星』シリーズでもそうなんだけど、一応お猿さんだからさ、ゴジラと違って表情があるんだよね。感情がわかりやすいってのがコングの魅力だと思う。ゴジラと違って実際はいい奴ってのも。
じきにゴジラVS.コングみたいなアツい映画が撮られるみたいだけど、怪獣初心者の僕からすれば、口から破壊光線出せるゴジラの方が圧倒的に強い気がするのだがどうなんだろう…笑。

俳優に目を向けますと、また出てきました、サミュエル・L・ジャクソン。僕がこのブログ始めてから1ヶ月で観た9本中3本に出てきてる。かなりの打率。3割3分3厘。野球でいったら結構な好成績。
今回の彼のさすがポイントは、なんといってもコングと対等にメンチを切り合うシーン。迫力がすごい。目力ヤベェっす、この役できる人アンタしかいねぇっす、ってなったわ。

f:id:oops_phew:20170328003800j:imagef:id:oops_phew:20170326233329j:image(もはや人間界のキングコング

最後に、字幕がアンゼたかしさんだった〜。この人、僕が中3くらいの時にアポ取って取材しに行った字幕翻訳家の方で、映画観にいくとたまに大作の字幕翻訳でお名前見かけるんだよね。こうやって活躍されているのをみると、素直に嬉しいのです。