『レ・ミゼラブル』("Les Miserables")

最近、週2,3回レミゼの曲を聴きながら仕事をするような特殊な環境に身を置いておりまして。そうなるとやっぱりこれが観たくなってくるわけ。この映画は、もう5年前になるのかな?公開当時に父親と観に行った作品。レミの原作を中学生の時に愛読していた父。読み始めようと思ったけど分厚い文庫本が全部で5冊あったり確か100ページ以上読まないと主要な登場人物がでてこなかったりすることに驚きを隠せなかった、15,6歳の僕。少なからずレミ愛の差を感じたのを覚えている。

レミって小さい頃に読んだ『ああ無情』(実はこれ、レミの中の「銀の燭台」というはじめの方のエピソードを切り取ったもの)くらいでしか触れたことがなかったから、話の内容はよく知らなかった。でもなんか知らないけどミュージカル版の歌は知ってたようなきがする。そういえばあの時はミュージカルを好きになった頃かもしれない、これは覚えてない。

レミの内容に対する感想ってなるともう細かいところまで永遠に書けてしまいそうだし、今まで世界中の人々が長きにわたって語り合ってきた作品に僕の陳腐な感想をつけるのは、いくらこのふざけたブログの中だからといって少し野暮だと思う。だからミュージカル要素について思ったことをちょびっと書こうかな。
え?手を抜くなって?レミは作品が大きすぎるから許して。気軽に感想なんかをつらつら書けるもんじゃないんだよ。なんつーか、敵が強すぎるんだよ。逆に言うと、よくここまで大きなミュージカル作品を無難に映画化できたな、って思うよ。

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えっと、舞台版を知っている者として最初にうぉって思ったのが、司教役の人が舞台版の初演でジャン・バルジャンを演じていた方(名前は知らない。なんたらウィルキンソンさんだったかな)だったこと。ほとんどの人にとってはどうでもいいことだと思う。まぁいわゆるカメオ出演ってやつです。多分他にもカメオ出演してる人いると思うけど気付かんかった。

この映画は普通に俳優として有名な人が結構出ていて。あ、この人歌も歌えちゃうんだ、みたいな。『美女と野獣』の時にも書いた、「守備範囲広すぎだろ〜」ってやつだ。確かミュージカル出身のヒュー・ジャックマンと、映画版『マンマ・ミーア!』で実力が評価されていたアマンダ・セイフライドは知ってたけど、アン・ハサウェイエディ・レッドメインは意外だった。調べてみたら、エディも一応舞台出身みたい。
特にアン・ハサウェイの"I Dreamed a Deram"とか圧巻よ。映画だから舞台とはちがってファンテーヌが売春婦になってみすぼらしくなっていく様子がリアルに描かれているし、歌声にもちゃんと生死をさまよってる感じの悲壮感がでてるしで、非常に良かった。予告編でしつこく流れていただけある。

このファンテーヌのソロもそうなんだけど、特にソロ曲はノーカットが多いような気がした。というのも、この映画は歌を全部生で歌ってるから。全編ライブ録音っていうのは僕が知っている限りミュージカル映画史上初めてだと思う。普通のミュージカル映画は歌だけを前にとって、実際の撮影は口パクだったりするので。

それと、舞台版と比べて思ったこと。
・テナルディエ夫婦の曲に迫力がなかったのがちょっと残念だったかな〜。ヘレナ・ボナム・カーターは相変わらず演技が器用でよかったんだけどね。
・新曲の”Suddenly”は綺麗なメロディーなのでオススメです。
・場面の切り替わりに、舞台版では演出できないようなダイナミックなカメラワークが使用されていて感動した。。。

あまりにバックグラウンドの大きな作品なので、なんか当たり障りのない感想になってしまった。個人的には、読む価値のない駄文。反省。

『スプリット』("Split")

もう2,3週間前になるんだけど、あんまり万人ウケしなさそうな映画『スプリット』を観てきた。多重人格者で、一人の人間の中に23もの人格がいるっていう人が主人公の話。
僕にとってはテスト期間。授業の時間の関係上、ぽっかりと空いた平日の昼。客層はどんなもんじゃいって思ってたら、まさかの男子高生が大量発生。そうか、お前らも中間試験期間か。

知ってる人は知ってると思うんだけど、僕はこういう「やべぇ」奴が出てくる話が大好物で。『ダーク・ナイト』とか『サイコ』、『羊たちの沈黙』系のやつ。なんでだろうって自分で考えてみると、そういう「やべぇ」人って僕たちが想像もできないような壮絶な体験をしているから、その「凄まじいバックグラウンドを持っているのにもかかわらず現在は強気で、ピンピンとしている」ギャップっつーの?に心が引きつけられるのかなあって思った。一種の同情に近いのかもしれない。映画の中では「悪者」として描かれているんだけど、この人たちは幼い頃にだいたいは親や家族絡みでひどい経験をして、それが彼らの人格に大きく影響している。もちろんそれが全てじゃないけど、僕だってその環境で生まれ育ったら同じような人格になったかもしれない。

この映画の主人公が患っている多重人格は、精神医学の用語だと解離性同一性障害(DID)っていうらしい。現実世界の例で有名なのはビリー・ミリガン。この人は1977年に連続強姦と強盗の容疑で逮捕されて、後に23の人格を持っていることがわかった人。彼も幼い頃、実の父親が自殺した上に義父に縄で縛られて吊るされるなどの身体的虐待や性的虐待を受けて、その影響で複数の人格が生まれたらしい。解離性障害っていうのは色々種類があってまだわかってないこともたくさんあるみたいだから、詳しいことは調べてもよくわからんし下手なこと言えんです。

映画の中で、主人公の治療にあたっているセラピストが「解離性同一性障害の人の脳は、一般人ができないことをしているわけだから能力を解放しているという見方もできるのではないか」って言っていて、たしかにそういう考え方もできるかって思った。でも能力を無理やり解放させられているわけだから、そのあとに言っていた人間の可能性がうんたらって話にはすんなりつなげられそうにはないけどな。
あと、二重人格の人は自分が裏の人格の時になにやったか覚えてないっていうから、多重人格者もそうなのかと思ってたら、そうじゃないみたい。人格同士が脳内でコミュニケーションとれてるような描写が何回もあった。

僕はこの特殊な人物像の描かれ方、そしてジェームズ・マカヴォイがこの役をどう演じるのかがみたかったんだけど、この男子高生たちは多分そうじゃなくて、ホラー的な何かの要素を求めて来たんだろうね。これ、結局そんな怖くなかったけどね。『ドント・ブリーズ』に比べれば全然。

でもこの映画、一応ホラーの要素も持っていて。女子高生3人が誘拐されてワーキャーする感じとか。
ちょっと変わってて面白いと思ったのは3人のうちの1人が謎の落ち着きをみせるっていうこと。しかも悲しそうな瞳をしていて、不思議な魅力がある。ルックスも、目が離れていて正統派じゃないけど美人。演技にもわりと幅があり、上手くてびっくり。これはインタビュー動画みちゃうかも。
こういう冷静な子が出てくると観ている側も楽しめる。パニック状態の子だけだとイライラしてきちゃう人もいるからね。

f:id:oops_phew:20170620184159j:image(出てきたばっかの新人らしい。)

お次はマカヴォイについて。23人格あるとかいいながら実際に映画の中で表に出てくるのは4,5人格しかないんだけど、人格が切り替わる時の細かい演技とかが、めちゃくちゃとは言わないまでも、まぁうまい。自分がやろうとしたら気が狂っちゃうなこれ。苦労話があるだろうから、これもインタビュー動画探してみる。

f:id:oops_phew:20170620184356j:image(9歳の人格。可愛いというより、9歳でどんな辛いことがあって人格が分離しちゃったの?って思っちゃう。)

シックス・センス』みたいにガツンとどんでん返ししてくれるのかと思ってたけど、シャマラン監督にしてはオチのパンチが弱い気がした。ネタバレになっちゃうから詳しくはいえないけど、あんま現実的じゃないし。脳が能力を解放したらそんなことまでできるようになるの!?って感じ。DIDの患者の実際の症例で、盲目の人なのにある人格は目が見える、みたいなのはまあわかるにしても、さすがにそこまではいかんでしょってツッコんじゃったよ。はっきりいってオチは全然面白くないです。
あ、でもアメリカでは親が子を叱る時はフルネームで呼ぶのがカギになってくるっていうのは日本人の僕にとっては新鮮でした。
実はもう一つオチがあるんだけど、シャマラン映画を全部観てきたわけではないのでよくわからんかった…。

最後に、一人の俳優名に役名が何個もついてるの、初めてみたかも。エンドクレジットがおもしろいことになってるので、お見逃しなく。

『メッセージ』("Arrival")

この作品は5月に公開される作品のなかではそこまで優先度高くなかったんだけど、上映後に町山智浩さんのトークショーがある上映回があるっていうんで、公開初日に六本木のTOHOシネマズまで観に行ってきました。町山さんの紹介はあとで書きます。

この映画、ポスターにうつってる宇宙船がばかうけにしか見えないということで日本人の間では公開前から「ばかうけ映画」として注目されてましたね。騒ぎすぎたのかついに監督の耳まで届いたらしく、「ばかうけに影響を受けたんだよ〜」みたいにどっかのインタビューでふざけて言ってくれたとか。日本人の発想、しょーもなくてごめんなさい(お前もじゃ←)。

バカでかいばかうけが地球にタッチダウンするところから物語が始まるんだけど、これより先を書くともうネタバレになってしまうので、これもあとで書くことにします。
いやー、僕の映画ブログではネタバレなしの感想を書くことにしているんだけど、この映画に限ってはどうしてもここまでしか書けない。うん。少なくともSF映画の枠を超えた傑作であることは間違いないとだけ言っておきます。

なので(←???)ここで一回脱線をして、そのあとでネタバレ感想を書くことにします。
脱線というのは、上映前の予告編に関して。『ローガン』の予告編なんだけど、あれめっちゃ大々的に「世界80ヶ国でNo.1!」みたいなの出るじゃん。あれちょっと引っかからない?なんで80ヶ国で公開されてんのに日本ではまだなんだよって。ローガンのアメリカでの公開、3月だよ?なんで日本では6月なんだよって。『メッセージ』に至っては本国では去年の11月公開だからね。日本での公開は半年遅れ。いま話題の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の監督だって、ネタバレを含むライブセッションを開くのを、最後の公開国である日本で公開されるまで待ってくれてたじゃん。日本人は毎度毎度どんだけ首を長くして待ってればええんじゃ。
洋画の日本での公開が遅いってのはかなり前からいろいろと言われてきたことで、なんなら日本での公開日と本国でのDVD発売日がかなり近いなんてこともある。
なんでこんなに遅いのか僕はよく知らないけど、もうちょっとなんとかしてほしいよね。いろんな事情があるんだろうけど!

ここら辺で話を戻します。

 

【これより先はネタバレを含むので未鑑賞の方はご注意ください。】

 

この話のキーワードといえばいくつも考えられるけど、その中の1つとして「サピア=ウォーフ仮説」があると思う。
サピア=ウォーフ仮説っていうのは、人間がみる世界は言語によって規定されるという考え方のこと。たとえば、雪を表す単語は英語よりエスキモーが使う言語の方が多いから、エスキモーの方がより細かいレベルで雪を認識できる、みたいな。僕は高校の国語の授業でこれを習いました。

さっきも書いたように、話としては、ある日突然地球に宇宙船が12隻到着するわけ。で、その中にいるエイリアンが、お前は赤ちゃんかってくらい意味わかんない言葉を話す(というより音を発する)から、主人公である言語学者がその解読に挑むことになる。早々と音声でコミュニケーションをとることを諦め、エイリアンの使用する文字の解読に勝負をかける主人公たち。同時に地球人の文字(英語)も伝え、なんとか解読の糸口を探そうとするっていうお話。

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(あたしたち、ヒューマンっていうの。あんたたちは?)

エイリアンが使ってる文字がこの話のキーで、これ、円にいろいろ模様がついてる表意文字なわけ。イメージでいうと漢字みたいな感じなんだけど、これは実は文字というよりは文章。かなりの情報量。調べると、原作者は中国系の人らしい。だからこの発想がでてきたのか。

f:id:oops_phew:20170522155316j:image(こんな文字があったら便利。書けなさそうだけど。)

で、これがこの話の中の一番のびっくりポイントなんですけど、このエイリアンの言語には「時」という概念がないので、学ぶと「時」を超越して未来が見えるようになるんです。ずぇってぇねぇから!!って誰もがツッコミを入れたくなるような設定。サピア=ウォーフ仮説を拡大解釈しすぎて物理法則を超越するレベルまできちゃってます。あれ、てか僕が去年ちょっと勉強したインドネシア語にも過去形とかなかったんですけど、それはまた違うんですかね。もう文法上の時制の話じゃなくて概念的に時間というものがなくて、下手したら現在という感覚もなかったりするってことなのかな。

言語関連以外にも特筆すべきことがあります。この作品は撮り方というか話の進め方がいままでにあまりなかったやり方になっていて。めちゃくちゃコアな話をしますと、この映画の最大のトリックは「娘との回想的なシーンは実は過去じゃなくて未来のものだった」ということなんですけど、このトリックの扱い方がうまいのよ。かなり斬新な手法。だって、映画の途中でフラッシュバックの映像が流れたら過去のものだと思っちゃうよね?未来のものだから、もはやフラッシュバックじゃないけどね。フラッシュフォワードっつーの?

そういった斬新な試みへの挑戦と両立して、ちゃんと映画としても面白いっていうのが素晴らしい。決して派手ではないんだけど、主人公たちと一緒に未知を体験しながら観ることができるので飽きない。あと、エイリアンとの遭遇を描きながらも最後にはパーソナルな話に落とし込んでいるのも引き込まれる。ちなみに、原作のタイトルは『あなたの人生の物語』(Story of Your Life)だそうです。なるほど。

ではでは、ここで町山さんの話に移ることにしましょう。
【これより先は町山智浩さんのトークショーの内容をもとに書いています。】

冒頭でも書きましたが、上映後に町山さんのトークショーがある上映回があるということで、いつもテレビやラジオでみている町山さんを生でみるために行ってきました。だいたい30分くらいで、皆からの質問に答えるという形でした。
町山智浩さんのこと知らない人もいると思うから、誰なんじゃいってことを簡潔に書くと、まぁ有名な映画評論家です。アメリカ在住なので、知識が豊富な印象。

トークショーの中で印象に残った内容をいくつか書くと、まずは「円環」というこの映画のテーマが、いたるところにみられるということ。エイリアンがくらげをモデルししたものであるのもくらげは前後がなくぐるぐるまわっているから。エイリアンの文字が円なのも、そういうこと。こういった細かいところだけじゃなくて、映画の最初のシーンと最後のシーンでうつってるものも音楽も同じ(らしい。音楽までは気づかなかった。)であるという作品の構造自体もテーマに沿っているそう。
えーとあとは、サピア=ウォーフ仮説に関連して、同じ人でも違う言語を話すと性格がちょっと変わるっていう話もされてました。英語を話す時より結論を後回しにする日本語を話す時の方が曖昧な性格になる、みたいなね。この研究はどっかで読んだことあった。
それと、時に関する作品には起こりがちな「タイムパラドックス」もちゃんと起きています。将軍に電話するシーンとか、未来の自分が書いた教科書みて読み方を理解するシーンとか。こういったことにも注目してみるとまた違った楽しみ方ができるかもしれない。

なんかまとめられた動画があがってるんで貼っておきます。ここに書かなかったこともたくさんあるので興味ある方は観てみてください(カットされている部分もありますが)。

【ネタバレあり】町山智浩氏映画『メッセージ』徹底解説まとめ動画 - YouTube

観客はオッサンばっかりだったんですけど、出てきた質問もあの映画との関連が〜とか、この思想との関連が〜みたいな、皆さんさすがいろいろ知ってんなぁって思うやつばかりでびっくりしちゃいました。

ちょっと長くなったけど、今回はこんな感じで。

『はじまりへの旅』("Captain Fantastic")

ひとことで言うと合わなかった。言いたいことはわかるけど、気持ち良くは観れないっつーか。森の中で原始的な暮らしをするキテレツな一家(父親と6人の子供達)が都会に出てきていろいろなカルチャーショックを受けるっていうお話。既存の言葉で言えば多分「ヒッピー」。資本主義大反対家族。いろいろな人がこの映画を評価していて、それはわからなくはないんだけど、僕はメッセージの描き方が大げさすぎな感じがしたなぁ。
なんでこうも評論家の方々と感じ方にズレがあるんだろうって考えたんだけど、結局わからなかった。僕が、親が子供に与える影響について興味があるから?

この話に出てくる父親は学者で、詳しくは描かれてないけど多分社会に出ても普通にやっていけるんだろうし、父親になるまでは普通の暮らしをしていたんだろうと思う。彼の教育法はそんな一見「普通」な人が考え抜いた結果のものだからこそ、話を聞かずにそう簡単には否定できない。困った時に一人でも生きていけるようにサバイバル技術を学ばせる、体力と筋力をつけさせる、レベルの高い本を読ませまくることで知能をつけさせる、などといった教育法は一見理にかなってる。
実際それで長男は世界の名だたる大学に次々と合格したんだけど、その子は今まで森の中で過ごしてきたせいで「コーラ」が何か知らないし、女の子ともまともに話せない。本に書かれたことしか知らない。彼が都会に出て初めて自分が変人であることに気づき、”I know nothing! I am a freak because of you! You made us freaks!”って父親に訴える場面は胸が締め付けられる思いだったよ。僕自身体験の伴わない知識の詰め込みにはあまり賛成できないからこの父親のホームスクーリングに最後まで納得できなかったのが、心から楽しめなかった理由だと思う。

それ以外にも、誕生日プレゼントに狩り用のナイフをもらって喜ぶ子供をみても素直に笑えないし、食べ物救出作戦とかいって普通に盗みを教えてるのもやべぇと思うし、あの父親がやっているトレーニングは下手すれば周りの人が言っていたように「児童虐待」になりかねない。
どうしても子供がかわいそうだと思ってしまう。親は選べないから、選択の余地なくこの父親の思考に付き合わされるわけだし。

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(葬式にこんな格好で乱入しちゃうような一家。)

なんか、小さいことにケチをつける心の荒んだ鑑賞者みたいになってしまった。。。でもこの父親を完全に批難することもできないんだよな。
本作の父親は過去に何を経験したかがあまり深く描かれてなくて、だから彼が持っている信条みたいなものもあんま理解できない。こういう偏った理想主義を掲げているインテリほど自分の考えを曲げることに対して抵抗を持っていそうだけど、彼も彼なりに子供のことをおもっていて、だからこそ最後の最後に今までの信念を変えることができたんだと思う。

社会のあり方、社会との付き合い方、教育について考えさせられる作品ではあります。嫌でも「普通」について考えることになるので、自分が置かれている環境に甘んじて惰性で生きている人がハッとすることがあったら、それはこの映画がこの時代に出てきた意味なんだと思う。
最近政府の教育再生実行会議が「アカデミックな教育課程に偏りがちな大学を変革し、産業界が求める即戦力となる人材を育てよう」みたいなこと言って叩かれてるの、結構タイムリーだったりします。

なんか、ウェス・アンダーソン監督に撮ってもらいたい素材だったなぁ。

 

『スウィート17モンスター』("The Edge of Seventeen")

映画をたくさん観ていると、たまに「大作じゃないんだけどどうしても観に行きたい!!」ってやつがあって、そういうのってだいたいミニシアターっつーの?でしかやってないことが多くて。本作もそう。シネマカリテっていう新宿の映画館で観てきました。シネコンもいいけど、ミニシアターにはまた違った魅力があって。座席が少ないからみんなで観てる!って感じの一体感があって。なんつーか、謎のホーム感。この作品は結構コメディーシーンがあったんだけど、笑う時にシネコンの時より遠慮がいらないというか。ミニシアター特有のそんな空気感があったりするのです。あと、館内ロビーに雑誌の切り抜きが貼ってある感じとかね。誰かわかる人いないかな。

ミニシアターで感じた一体感でとても印象に残ってるものがあって、今年の1月に『はなればなれに』っていう古いフランス映画を観た時なんだけど、序盤のナレーションで「遅れてきた観客のために今までの内容を説明しよう」みたいなのが入ったの。ちょうどその時に遅れ客が入ってきて、タイミングがバツグンすぎておもしろかった。あと映画の中で登場人物たちが1分間沈黙するシーンがあって、映画館でみると、特にこういうミニシアターでみるとまた別の感動があるなぁなんて思ったりしました。

ちょっと話がそれちゃった。さてさて、『スウィート17モンスター』の話をば。
えーと、今回は邦題についてはあえて触れないことにして、そのまま内容の方にいきたいと思います。17歳っていう難しい時期にいろいろこじらせちゃったイタイ女の子(名前はネイディーン)のお話なんだけど、その暴走加減が妙にリアルで良かったのでございます。もうそこだけを前面に押し出したような感じでつくられていて。でも誰もが体験してきた大人になるための過程だから、どこか懐かしくて、なんか責められなくて、うんうんそうだよねって見守ったくなっちゃうような感じ。自分が嫌いで、みじめに思えて、親とも一向に分かりあえなくて、みたいな。人間関係にもがき苦しんじゃうけど、甘酸っぱい恋愛なんかもあって、みたいな。(まだ20歳のお前が偉そうに言うなというご意見は基本的に受け付けておりません)

そんな女子高生役を器用にこなしてたのが、ヘイリー・スタインフェルドさん。美人すぎないのが合ってたね(失礼)。んー今まで知らんかったけど、調べてみたら『トゥルー・グリット』に出てた子なのね!そして同い年という。不思議な気持ち。
話の性質上ネイディーンが一人で画面に映ることが多いんだけど、もう引き込まれちゃって。画面から目を離す隙がないっつーか。ヘイリーさんはブスに見える表情を躊躇なくやってのけるから(ここら辺は最近観た『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーンに似ている)、清々しくもある。
いつもふてくされててブサイクなネイディーンがすごく可愛くみえたのが、イイ感じになってる男の子がつくった映画を映画祭で観てる時の表情(画像探したけどなかった)。映画の中で登場人物が映画観てるシーンってなんかいいよね。

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(ムスッ)

悲劇のヒロインぶってたり、デートの前にタンスの中をひっくり返ちゃうような少女だったネイディーンが母親に大人だと認めてもらえるシーンが最後の方にあるんですけど、そのシーンがとても象徴的で、みんなこうやって大人になっていくんだな〜って思っちゃって。こういう、ティーンエイジャーがある経験(失敗)を通して大人になっていくみたいな映画っていっぱいあるよね。僕が最近観たのは『17歳の肖像』かな。

予告篇の音楽にビートルズの『ヘルプ!』が使われてたんだけど、もうそれがピッタリすぎてね。それもビートルズが歌うズンチャカな感じのヘルプじゃなくて、しっとりとした感じの、Howie Dayという人のアコギが印象的なカバー。実はこれ、どっかで聴いたことあると思ったら『アイ・アム・サム』のサウンドトラックだった。確かこれはサントラにビートルズの曲を使おうとするとめちゃくちゃお金がかかるから、予算の関係上いろんなアーティストにカバーしてもらったっていう映画で、結果的に作品の雰囲気にぴったりなサントラになったやつだ。ヘルプは、その中からの一曲。下に貼っときます。

Help - Howie Day (Beatles cover from I am Sam Ost).wmv - YouTube

…みたいな感じでした。あぁ、若いって、難しいけど素晴らしい。

『美女と野獣』("Beauty and the Beast")

美女と野獣』って、100年語り継がれる物語とか言われてっけど、ひとことで言うと元々は「異類婚姻譚」だからね。なんかゾクっとするね。
その前にこの邦題にはちょっと思うところがありまして。もともとはフランスのお話だから”La Belle et la Bête”っていうらしいんだけど、これが綺麗に韻を踏んでるわけ。英語版の”Beauty and the Beast”もちゃんと頭韻を踏んでいまして。で、邦題はというと、『美女と野獣』って…。ジャ行で踏んでると考えるのもちょっと厳しいかって感じ。まぁそんな気にすることでもないんだけどね。え?代案なき否定を禁ずって?すみません。

この作品、昔のディズニーアニメ映画の実写版なんだけど、数年前にそのアニメ作品を観ようとしたことがあって。途中で観れなくなって。というのも、TSUTAYAで借りてきたBlu-rayに傷が入っててね、ベルと野獣のファーストコンタクトのシーンあたりでしっかり止まっちゃったの。いや、スゲェいいとこじゃん!!これから話が大きく動き出す大事な場面じゃん!!うぐぐぐ…!!!ってなったね。新しいの借りる気にはあんまなんなかったのでそれ以来観てません。後でTSUTAYAに「これ直したほうがいいですよ〜」って言いに行ったら無料で借りられる券みたいなの2枚もらったんだけどなんか恥ずかしくてまだ使ってないので欲しい方いたらあげます。多分渋谷店でしか使えないです。

何から書けばいいかちょっとわからないんだけど、まずはエマさんかねぇ。透き通った素朴な歌声で素晴らしかったし、気丈な感じがベルに合ってた。読書家のエマが、本の虫のベルを演じたのがリアルでまた良かった。僕はイギリス英語の発音が好きなので、それもよかった〜。キャストの話をすると、家来の声優にびっくりしました。ユアン・マクレガーとか、エマ・トンプソンとか、こんないい歌声持ってたの?え、守備範囲広すぎません!?つって。

f:id:oops_phew:20170424115841j:imagef:id:oops_phew:20170424120359j:image (ベルのコスチュームが似合うエマさん。)

個人的に印象に残ったシーンは3つあって、1つめは”Something There”(愛の芽生え)という曲のシーン。雪合戦の場面なんだけどね。野獣がめちゃデカい雪玉をベルに当てちゃうんだけど、それが顔面に直撃して真後ろにバタンとぶっ倒れるシーンがあって。脳震盪とか心配しちゃったよ(アニメ版を確認すると、当たってなかった)。下に動画貼っておくんで観てみてください。ベルが”And now he’s dear and so unsure”という歌詞をちょっとテンポから外して歌うのがオシャレで好きなんです(細かい)。あとやっぱアラン・メンケンは天才だね。

 「美女と野獣」♪愛の芽生え /(プレミアム吹替版Ver.) - YouTube

2つめはベルと野獣が本について話してるシーン。細かいことは忘れちゃったんだけど確かシェイクスピアの話をしていて、”Love looks not with the eyes, but with the mind; and therefore is winged Cupid painted blind.”(恋は目で見るものじゃない。心で見るものだ。だからこそ、翼を持つキューピッドは盲目に描かれている。)っていう『真夏の夜の夢』の一節を二人で言って盛り上がっちゃう。なんか映画とかドラマとかでさ、たまにシェイクスピア作品の一節をサラっと言う人いるけどなんでみんな覚えてんだろうね。僕も学校で夏目漱石読んだけど、一節を諳んじるとかできないよ?

3つめはラストに野獣が人間に変わるところで(これネタバレじゃないよね!?)、ベルが人間になった野獣の目をみるシーン。目をみて野獣だと確信するっていう象徴的な場面。実写版の方が野獣が人間的な外見をしています。元は人間だってのがわかる感じね。アニメ版の方は完全にモフモフな獣だったから。ぬいぐるみみたいだったから。

冒頭でちょっと原作について触れたんだけど、原作を読んだことがないのでちょっと調べてたらおもしろい記述を見つけまして。原作はベルの成長物語なんだけど、ディズニー版は野獣の成長物語になっている、とかフェミニズム要素を含んでいる、とかね。
ディズニープリンセス像というのは時代に合わせてかなり変化してきたものなので、これについては色んな考察ができると思ってるし、絶対めちゃくちゃおもしろい。時間がつくれたら色々考えてみたいぞ。変化といえば、ついにディズニー映画にもゲイキャラが出てくるようになったね。そのせいで上映禁止になった国もあるらしいけど。

本作はあの『美女と野獣』の実写化ということで、ごまかしのきかないド直球勝負、ハードルも高かったとは思うんですけど、見事に素晴らしい作品に仕上がっておりました。めちゃくちゃオススメします。実写化って、(おそらく2回はしないだろうから)タイミングが難しいよね。「今」でいいのか?エマ・ワトソンでいいのか?っていう。なんか、今からこっちにそんなことを考える暇も与えぬほどバンバン実写化していくみたいですね。『ムーラン』、『ライオン・キング』、『ピーター・パン』、『アラジン』とか。一昨年の実写版『シンデレラ』も、傑作すぎて映画館で感動した覚えがあるので、後続にも期待が高まりますね。

最後に、注目の主題歌はアリアナ・グランデ(とジョン・レジェンド)が歌ってるんだけど、アリアナさんは歌うまいね。最近出てきたシンガーソングライターの中でダントツでうまいと思う。調べたら彼女はアフリカの血が入ってて、ビヨンセとかマライア・キャリーもそうだから血の力は少なからずありそうだよね。こういう話をすると、高校の生物の先生が「黒人はね、我々とミトコンドリアが違うんですよ。だから長距離走で強いんです。」みたいなこと言ってたの思い出すんだけど、ホントなのかね。。。

『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』("Lion")

公開されるや否や、とでもいいましょうか、なんなら公開される前からネット上で「泣ける」と話題になっていた本作。僕も泣くつもりで、お水たくさん飲んで目薬さして上映前のおしっこも我慢して観に行ったのさ。まぁちゃんと泣かされたんだけどその話はまたあとで。

開始早々ヒンディー語に圧倒されました。何語かと思ったらヒンディー語だった。多分最初の45分間くらいは全部ヒンディー語ベンガル語だった。字幕日本語しかなかったけど、これじゃあ外国の人が日本の映画館で観たら何言ってるかわからないじゃん…?オーストラリアの映画なのに、デフォルトで英語の字幕入ってないのかな。それとも日本の配給会社が消した?

って感じで結構インディーな感じの映画なんですけれども。特に前半はインドの危険な社会について描かれてる。インドの子供って直感で悪人がわかるのね。人身売買やら臓器売買やらをやってる人がたくさんいるから自然とそういう力が身につくんだろうけど、それに比べて平和に暮らしてる日本の子供は善人面した悪人には多分すぐついていっちゃうよね。そもそも、ストリートチルドレンとかいないしね。

あらすじとしては、インドで迷子になった後色々あってオーストラリアの夫妻に養子として受け入れられた子供が、25年後にインドの家族の元へ帰るお話。なんで帰ることができたかというと、そりゃもう広告で散々言われてるようにグーグルの力ですよ。グーグルアースによって記憶が呼び覚まされて自分の家を思い出すの。やっぱグーグル先生ってすごい。我々大学生の単位をいくつも救ってくれる上に、こんな感動的な親子の再会にまで貢献しちゃうんだから。えっと、これからもレポートの時とかよろしくお願いします(←違う)。

主人公の子がね、サルーっていうんだけどね、幼少時代を演じたサニー・パワールくんがとっても可愛くて。そっち系のアブない趣味がある方にはオススメです。別に演技がめっちゃ上手いとかいうわけではないんだけど、これからが楽しみですね〜!顔とか!
この子が成長するとデーヴ・パテールが演じるようになります。まぁ特にカッコいい以外のコメントはないんですけど、この人『スラムドッグ・ミリオネア』に出てたらしい。あれですかね、インド映画じゃないけどインドが舞台の映画に出るポジションを獲得しつつあるんですかね。知らんけど。とりあえずそれもはやく観なきゃだ。

サルーはオーストラリアで教育を受けて大学に行かせてもらえるんだけど、そこの大学に!ルーニ…!(ここで息がつまる)ィマーラ!が!いて!なんか彼女と付き合っちゃったりして!!は?意味わかんねぇし。サルー君それはずるいぞー。ルーニー・マーラには僕を倒さないと近づけないんだぞー。って感じで画面越しにしか言えない自分に無力感を感じながら観てたんだけど、おいおい彼女最高かよ。会ったことないけど好きだよ。話したことない人を好きになるってこういうことなんだよ。そりゃ大学にルーニー・マーラがいたらさぁ、毎日ルンルンで登校するよね。全講義無遅刻無欠席で、なんなら授業の5時間くらい前に着いてそわそわしちゃったりしてね。もうなんか興奮して文章がめちゃくちゃになってっけど。あえてここら辺推敲とかしないけど。

f:id:oops_phew:20170419192724j:image(この透明感!!!)

キャストについてあーだこーだ言ってるけど、一番演技が神がかっていたのはニコール・キッドマン。オーストラリア夫婦の、もちろん「婦」の方を演じてまして、抑え目なんだけど芯のある演技が上手い。特に最後の独白のシーンは技アリ、必見。彼女も養子を迎えた経験があるから、通じるところがあったのかも。母親役でいい味出すね、『アザーズ』なんかも良かった。

本作が盛り上がるのはやっぱりサルーが自宅の場所を記憶を辿りながら思い出していくシーンで、映像にもこだわってるのがわかった。過去の映像との織り混ぜ方なんかが丁寧で、サルーの心の動きがよく描かれてた。この演出はニクイです。もう三菱なんじゃないかってくらいニクイ。
映画館で泣いたのっていつぶりだろう。『リアル・スティール』とか以来かな。ちょっと覚えてませんけれども。今作のわたくし的泣きポイントはというと、ニコール・キッドマンが”She needs to see how beautiful you are.”(戸田奈津子字幕は「ご家族に、立派になったあなたを見せて」だった気がする)って言うところですかね!細かいけど。
あとね、実は実話なんです系映画のエンドロールで必ず出てくる実際の写真とか映像、あれが一番泣いちゃうね。気づいたら目に涙が。ホロホロと頬をつたって、女優になった気分。
ドライアイで悩んでる方は、どうぞ。そうでない方にも、とってもオススメです。